永遠回帰

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信念と創造

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創造的な生き方っていうのは、
 
柔軟に立ち回りができて世界に順応できるということだと思う。
 
状況に抵抗してでも何か信念を押し通そうとするのも創造かもしれないけど、
 
個人的なパターンや外からの圧力で行動せずに、
 
必要だと思うことは受容し実践できる柔軟性とフットワークの軽さに現実を動かしていく力が宿る。
 
表面的に見えて何かを作ったり殖やすことより、
 
受け入れることや減らすことの方が本質的には重要かもしれない。
 
  

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「空腹を感じて何か食べたくなり、キッチンへと向かい、料理をして食事を頂く」過程と、
 
「夢や目標を設定し、諦めずに前に進み続け、叶える」過程は同じだ。
 
どちらもまず最初に生理的・感情的・本能的な欲から発する。
 
夢や目標も、それに対して情熱的な感情を抱くからこそ成し遂げようと思うのだ。
 

 
そして何かしら食べたい料理や気分を感じ、
 
イメージし、それに必要な材料を集めて調理する。
 
世の中を変える大きなビジョンも、
 
基本的に誰かが作ったイメージの寄せ集めで出てきたものだ。
 
作った食事を頂くときには、自分が最初に感じた欲求が、
 
自分の努力によって形になったそれを食べることで満たされ、
 
そして身体(社会)に作用を及ぼす。
 
もちろん、後者は他者が関わってくるので喩え以上のものではないけど、
 
お腹が減って料理をして食べることと、壮大な夢を叶えることが内的には同じ過程だと思うといい感じに力が抜けないだろうか。
 
 
  
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「信じる」という行為を広く捉えて、
 
何かを強く望むことや希望を持つこと、
 
更には計画を建てることまたは破棄すること、
 
科学的な営為まで含めて(最終的には「信じる」ものであるから)
 
「信仰」とするなら、それは人間社会を構築する根本的な原理の一つでもある。
 
「信念」とはまさに信じて念ずるのであって、
 
私たちはほぼ絶え間なくこの行為を行っている。
 
カルト的な団体が怖いのは、
 
非カルト的だと思っている全体社会の信念が崩れるからであって、
 
自分たちが「正常」だからではない。
 
社会の現実を変えようと思う時、人間社会における規準を信じるだけではなく、
 
そこまで見なければいけないと思う。
 
理性的である必要はあっても、単に理性的なだけでもダメなのだ。

 
 
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